いけがみを召喚するには、出現予定を参考にしてください。三週間前までにメールをくだされば、日程を追加するなどしてスケジュールに組み込むことができるかもしれません。勉強会や個人的な会合、中途採用面接などに応じます。日記に書かないことはこちら。
以前も書いたし、一時期日記が中断したし、昨日の絵描きのところでも書いたけど、「突然、気絶します」
経緯は僕のごくまわりにしか知られていないことで、それはもう今となってはどうでもいいことなのだけれど、最初に、「この病は現在のところ不治である」と知らされたときが一番ショックだった。いろんな場所、時間、場面で気絶し、脱臼したこともある。頭を9針縫ったこともある。ナルコレプシーとは違うよ。
最初は恐ろしくて外にも出られなかったが、〈寝た次の日が続いていることのほうが不思議〉という子供の頃の問いかけを思い出したらちっとも怖くなくなった。
それでも、平均寿命はとても短いらしい。平均なんてとったところでしょうがない話だ。中央値(メディアン)を知りたかったが、医師は首を振った。
今日、一枚の書類を研究所に提出しなければならない。
研究所に残るわずかなチャンスのために、この病気のハンディキャップによる減給と、書類にハンコをつくだけの毎日を選ぶか。こちらを選ぶと、面接が何回か行われた後、私が突然気絶しても仕事がまわる、すなわち、私以外の誰でもできるという仕事をする場所にむかう。
それとも、おとなしく決められた日に、雇用を更新できない(突然気絶する病人は、この研究所では研究できないらしい)ことを選ぶか。
この病気がわかる前の学生時代は悔しかったが、今となっては単身であることがどれだけありがたいかわからない。責任を持たなければならない家族はもういないし、兄弟は結婚してそれぞれの生活を送っている。関所をくぐるかくぐらないか、そして、その結果は、僕だけが背負えばよいのだから。
そういう風に考える人が日本人には多い(不治の病いによる絶望に負ける、国や周囲の援助がない)ので、平均寿命がより低くなっているという要素もある。わたしが絶望先生を気に入ってるのは、単に久米田先生のファンであるのみならず、絶望先生は決して絶望に負けたりしないから(「お兄様、なんたるチキン」)、そこがいいのだ。
どうやら、知らず知らずのうちに、一つの岐路に立ったらしい。辿り着いたことを励ますカフカの文章を知ったので、ここに引用する。
真実の道は綱渡りに似ている。綱は空中の高いところではなく、地面すれすれに張られており、その上を歩くというよりは、むしろ躓かせることを意図して造られている。
ある地点を越えたら、後戻りはできない。そうした地点にこそ、辿り着かなければならないのだ。
ー Franz Kafka, 1917. 彼の死後、手記に書かれたこの言葉などを、友人の Max Brod が『罪・苦悩・希望・真実についての考察(原文はドイツ語)』として出版。
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